1.2008年、リーマンショック
2008年、世界は金融危機に陥っていました。
アメリカでサブプライムローンという、
低所得者向けの住宅ローンが証券化して売りさばかれた結果、
多くの人が返済不能になったことが発端です。
特にリーマン・ブラザーズという”超”超大手証券会社はこのローンを大量に扱っており、
その結果、2008年9月に負債総額約6000億ドル(約64兆円)という、
史上最大の企業倒産を果たしました。
「あの超大手が潰れた!? じゃあ他の企業も危ないな……」
と考えた投資家は持っていた株を手放しました。
これにより株価は急落し、金融市場全体が混乱しました。
「あの超大手が潰れた!? じゃあ他の企業も危ないな……」
と、数行前からコピペしたような事を言って、
銀行も企業への融資を渋るようになりました。
おかげでどの企業は資金調達が難しくなり、
アメリカ全土で経済全体が停滞しました。
なにしろしつこいようですが超大手のリーマン・ブラザースが潰れ、
アメリカの金融状態はグチャグチャです。
アメリカがグチャグチャになれば、世界中がグチャグチャにもなろうというもの。
悪循環は世界中に波及し、各国政府は銀行への資金注入を行いました。
しかし、それは国民の税金から賄われるわけで、当然、不満が広がります。
当時の金融危機=通称リーマンショックは
従来の金融システムが大きすぎる企業や銀行、政府に依存しきっていたことを、
浮き彫りにしたと言えるでしょう……。
2.謎のサトシ・ナカモトと、運命の論文
さて、同じ年の10月。
インターネットの片隅で、この状況を打破するアイデアが披露されました。
具体的には10月31日……。
物によっては11月1日ともされています。
0時前後に投稿されたか、世界中の人が見たって話だから時差の問題か……。
兎にも角にも「metzdowd.com(メッツダウド・ドット・コム)」という、
暗号技術やプライバシー保護に関する議論を行うためのウェブサイトの中の、
「Cryptography(クリプトグラフィー)」というメーリングリストに送られた1通のメールに
とある論文が添付されていました。
差出はサトシ・ナカモトという名前。
一見日本人っぽいですが、これはハンドルネームです。実際の素性は分かりません。
英語圏の住人とも、グループの名義じゃないのかとも推察されています。
グループ名が個人名……?バンドの『大島渚』みたいなものかしら。
って、今の若い人には絶対に通じない、もとい混乱させてしまう。
じゃあボン=ジョヴィみたいな意味?
って、ボン=ジョヴィはボーカルの名前だから意味合いが違う。
ボン=ジョヴィも昨今は「やー!」の後ろに流れてる……
ってくらいしか知られていないのでは?
話が大幅に逸れました。
とにかくサトシ・ナカモトの名義で投稿された論文は
「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」というタイトル。
日本語にすれば「ビットコイン:ピア・ツー・ピア電子通貨システム」
という題になります。
ピア・ツー・ピア(略称P2P)とは、
「仲間同士」や「対等な者同士」を意味します。
つまりナカモトの論文は、
ビットコインというデジタル通貨=仮想通貨を設定して
銀行や政府と言った中央集権的な金融機関を仲介せず、
個人と個人がネットを通じて、
直接お金のやり取りをするのはどないや!
これが成立すれば、大きな企業が潰れようと、銀行が実質機能しなくっても、
関係なく経済が回りますんやぁああ!!
……という内容だったのです。大まかにいえば。
3.決めろ!ブロックチェーン!
で、なんでそんな、金融に関するアイデアが、
暗号技術のサイトで発表されたんだ?
とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
だれかしらの技っぽい、この章の小題をご覧ください。
論文中に提案されていたのは、このブロックチェーンという技術なのです。
ブロックチェーンとはビットコインと称されたデジタルの通貨による一連の取引データを
「ブロック」と呼ばれる単位で記録し、
それらを鎖(チェーン)のようにつなげていく仕組みです。
この技術によって取引情報は改ざんできない形で保存されます。
新しい取引が行われると、その情報が新しいブロックとして追加されます。
そして、このブロックには前のブロックの情報も含まれているため、
一度記録されたデータは変更できません。
これはつまり、取引データの暗号化であり、
ビットコインを成立させているのは暗号技術に他なりません。
ビットコインの様なデジタル通貨は法定通貨(円やドルなど)とは異なり、
物理的な形態(紙幣や硬貨)は持たないので、
暗号技術を用いた取引の安全性や、匿名性を保たてばならないのです。
そのため、ビットコインのみならず、デジタル通貨・仮想通貨は
「暗号資産」と呼ばれてもいます。
サトシ・ナカモトの論文は、新しい金融システムのアイデアと、
それをどう実現させるかの試案が、事細かに書かれていたわけです。
4.始動開始!
論文の発表から3か月後の2009年1月3日、
ビットコインネットワークが正式に始動しました。
サトシ・ナカモト自身が
(まぁ個人名かグループ名かは定かではありませんが)
前述した「ブロック」の中でも最初の”い”の一番
ジェネシスブロックを作ったことがスタートラインとなったのです。
ジェネシスとはセガのメガドライブの海外での名称です。
すみません。セガは多分、関係ありません。
筆者の家には3DOリアルという、
ネタにもならない負けハードしかありませんでしたし、
ジェネシスとは創成、文字通り始まりの意味です。
こんな与太話より、ジェネシスブロックにアクセスすると
「The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks」
※タイムズ紙2009年1月3日付「財務相、銀行への二度目の救済策実施の瀬戸際に」
という一文が刻み込まれている……という情報の方が、
何百何全倍も重要な話です、
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、
これはビットコインが始動した日の新聞の見出しです。
つまりサトシ・ナカモト的には
「こっちが個人と個人でやり取りする、
新しい通貨が使えるようにしたその日!
政府は未だにこの金融危機を、
銀行に金を流すことで解決しようとしていたんだ!
我々の税金を搾り取ってさぁ!」
という皮肉、怒りと悲しみ、あるいは勝利宣言……
総じて皮肉を言っていたのだ!というのが、
ビットコインに携わっていた人たちの一般的な解釈、だそうです。
まぁサトシ・ナカモトの正体が不明な以上、
確かな事は分かりませんが、状況的にそんな感じでしょう。
ビットコインは個人間のやり取りに徹底する他にも、
あえて供給量を2100万枚に限定することで、
銀行の管理を必要としなくするなど、
間違いなく従来の通貨、金融制度を覆すアイデアだったのですし。
5.ビットの価値は
とはいえ始動したての頃、
この新しい通貨に興味を持つ人々は限られており、
コミュニティも非常に小規模でした。
始動から10ヶ月ほど経った頃、
初めてビットコインと米ドルとの交換レートが設定されましたが、
1ビットコインはなんと、約0.0025ドルでした。
0が頭に3つも有ります。
日本円にすれば約0.07円。7銭というところです。
いや、銭なんて最早使われていないので、余計ややこしくなりますね。
なんにせよビットコインを、現実の通貨と交換するときの価値は、
わずか約0.0025ドル=0.07円程度でした。
しかし”ゼロ”ではない以上、この出来事はビットコインが
「価値を持つもの」認識される、重要な一歩となったのです。
ここから多くのプログラマーや暗号愛好者たちが集まり、
小規模ながらも活発なコミュニティが形成されていきました。
彼らはフォーラムやチャットルームで情報交換を行い、
新しい通貨システムについて議論を重ねたのです。
サトシ・ナカモトもこのコミュニティとの交流を続け、
自らのアイデアや改善点について意見を求めていました。
しかしそれでもなお、
多くの人々にとってビットコインは未知なる存在とでした。
なにしろビットコインはデジタル通貨、実態を持たない仮想通貨です。
仮想の通貨なんて本来、ゴールドとかゼニーとか、
あの手のあれこれを指す言葉です。
実際に使えるなんて想像がつく筈もありません。
6.運命のピザデー
実際に使えるなんて想像がつかない……。
そんな状況を打破するには、実際に使われる他にないわけです。
その運命的な日……ビットコインが商業取引において、
初めて使用されたのは、2010年5月22日でした。
発端はフロリダ州に住むプログラマー、
ラズロ・ハニェッツ氏が、インターネットのフォーラムで
「誰か僕の1万ビットコインと引き換えに、
ピザを買ってくれる人はいないかい?」
と呼びかけたことです。
おお、いかにもアメリカのプログラマーって感じだ……。
ってふざけんな!日本人のプラグラマーなら寿司頼むのかよ!
というご意見は御尤もです。申し訳ございません。
とにかくこの呼びかけに応じたのは、
イギリスのジェレミー・スターディヴァント氏でした。
スターディヴァント氏は
パパジョーンズというチェーンのピザ2枚を注文し、
とりあえず自分のクレジットカードで支払いをしました。
パパジョーンズは日本でこそ展開していませんが、
45ヶ国以上で5,000店舗を超えるチェーン店を運営していて……
いや、パパジョーンズの詳細はどうでもいいですね。
どうせ日本じゃ頼めないのだし!
肝心なのは、この時スターディヴァント氏が支払いをしたこと、
つまり氏がピザを『仕入れた』のだと捉えてください!
と、言いたかったのです。筆者は。
こうしてスターディヴァント氏が『仕入れた』ピザは
ハニェッツ氏の元に届けられ、
ハニェッツ氏はその対価として、
スターディヴァント氏に1万ビットコインを送金しました。
この取引はビットコインが実際に商品と交換できることを示す、
初の商業的な取引として、2010年5月22日は今でも
<ビットコインピザデー>として記念されています。
このピザ2枚は約41ドル。
つまり当時1万BTCは約41ドル(当時の為替で約4,500円)相当だった……
ともいえるわけです。
現代のレートで言えば、1万BTCは数億円にも相当します。
2枚どころか店まで変えるかもしれない!
そんなわけでピザデーで取引されたピザは、
「史上最も高価なピザ」と呼ばれることもあるのです。
7.成長するビットコイン
なんにせよビットコインを使った、
実際の商業取引が実現した事実が出来ことは、
ビットコインの普及にとって大きな一歩となりました。
2か月後の2010年7月には、
世界初の大規模なビットコイン取引所であるマウントゴックスが開設され、
ビットコインの取引がより簡単になり、
多くの人々が参加できるようになりました。
翌2011年の2月9日、
ビットコインの価格が当初の700倍、1ドルに初めて到達しました。
これでようやくビットコインは、
実際の価値を持つ通貨として認識され始めたのです。
さらに6月8日には1ビットコイン=31.91ドルと急激な価格上昇を見せ
同月のTIMES紙で取り上げられました。
ジェネシスブロックに見出しが刻まれた、あのTIMES紙です。
この時の記事によって、ビットコインは一般大衆にも知られるようになり、
さらなる注目を集めることになりました。
ピザ2枚から1年と経たずにこの成長。
ちょっとした突然変異ですね!
と、無理やりピザからミュータント忍者タートルズとをかけた話をしよう、
としましたが、さすがに無理を感じたので止めておきます。
申し訳ございません。
8.謎は謎のまま……
さて、上記の様にビットコインが着実に成長する中、
2010年12月12日の時点でサトシ・ナカモトは、
ビットコインのソフトウェアの最新バージョン(ver0.3.19)を告知した後
「私は他のことに移ります」という短いメッセージを残し、
その後は一切姿を見せて居ません。
いや、ハンドルネームなんだし実のところは分からない……
とは言っても、サトシ・ナカモトの名前はもう、
ビットコイン運営の中核には見られなくなってしまったのです。
結局最後までハンドルネームの他は、
多くの実績を残した事実以外、分からずじまいです。
名前の通りの日本人男性なのか?
それともチーム名だったのか?
あの人だ、いやこの人がその正体だ!という議論は未だ続いているそうです。
ただもう一つはっきりしていることは、
サトシ・ナカモトの名義の約100万ビットコインは、
その後一切動きがない、ということです。
今のレートでなら資産額は何兆円にもなります。
手付かずなのはひょっとして、サトシ・ナカモトが亡くなったから?
それともいつか、またとんでもないことを起こす布石なのか?
これについても、多くの人々を刺激している謎です。
金融システムの歴史を変えた人物が、なにもかも謎……。
現代の神話として、出来過ぎているとは思いませんか?
思わないと言われれば、筆者はグゥの音もでませんが……。
9.次回予告
サトシ・ナカモトが去った後、
ビットコインの開発はギャビン・アンドリーセン氏など、
他の開発者たちによって引き継がれ、
彼らはナカモトが提案したアイデアを基に、
ビットコインネットワークを成長させていきました。
しかしその変遷は、決して順風満帆な物ではなかったのです……。
そんなわけで次回からは、
通貨として認知されだしたビットコインの歴史を
『ビットコイン物語・激動編』と題して、
前・中・後の全3回でお送りいたします!